『白洲次郎・正子夫妻とその友人たち』シリーズの第1章から第9章です。お楽しみ下さい♫

『白洲次郎・正子夫妻とその友人たち』シリーズの第1章から第9章です。お楽しみ下さい♫

■第1章■自分の信念に基づいて生きた白洲次郎は何事に対してもはっきり主張したことで敵を作りましたが実際には彼に賛同する人が圧倒的に多く慕って集まってくる若者が多数いました。今も白洲次郎ファンは増え続けています

★クリックして下さい♫⇒ ■第1章■“ジョージ6世の父ジョージ5世の時代に英国留学をした白洲次郎”

■第2章■
共にいても何処にいても信じられる終生の友を留学で得た白洲次郎。その後の彼の華麗なる生涯は盟友から学んだ英国流の思想やスノビズムが源。盟友を得るということの重要さも教えてくれた次郎氏。

★クリックして下さい♫⇒ ■第2章■“世の中で一番尊敬しているのは母だ・白洲次郎”


■第3章■運命的な出会いをした正子と結婚。その後英国に渡り後に盟友となる吉田茂と出会う。この出会いは戦後の日本を助けるためにマッカーサーと対等にやりあえる白洲次郎を神様がセッティングしたのかもしれませんね。

★クリックして下さい♫⇒ ■第3章■“吉田茂と共に歩む白洲次郎の戦後”

■第4章■
敗戦という惨めな結果に終わった日本を誇りをもって世界にアピールしたいと思っていた白洲次郎。かつての敵国に英国仕込みの英語で主張すべきところは頑強に主張。GHQ要人に従順ならざる唯一の日本人と言わしめました。

★クリックして下さい♫⇒ ■第4章■“太平洋戦争を察知した白洲次郎の転身”

■第5章■“吉田茂外相の要請で終戦連絡中央事務局参与となったその時から白洲次郎の奮闘が始まりました。GHQ側の憲法草案に次郎は怒り心頭。マッカーサー元帥側と数日間の言語での戦いをします。

★クリックして下さい♫★⇒ ■第5章■“戦後白洲次郎が関わった新憲法の最終草案”


■第6章■1948年12月1日、白洲次郎は貿易庁長官に就任しますが、その就任は吉田茂だけの推薦ではなく、マッカーサー元帥から名指しもあったことでの決意でした。でも、その在任期間は僅か2か月半という短さでした。なぜ?

★クリックして下さい♫★⇒ ■第6章■“吉田内閣の参謀として渡米・大役を果たした白洲次郎”


■第7章■一見破天荒な生き方に見えるも常に努力し精進して日々を送った白洲次郎氏。多くの明言を遺し、多くのファンを作って生涯を終えます。そして、未だ彼のファンが増え続けているのです。

★クリックして下さい♫★⇒ ■第7章■“吉田茂の三女と結婚した麻生太郎氏の父麻生太賀吉とその家族”

■第8章■サヴィル・ロウSavile Rowはロンドン中心部のメイフェアにあるショッピング・ストリート。通りはオーダーメイドの名門テーラーが集中していることで知られ、日本では「背広」という言葉の語源となったとも伝えられます。そこに店を構えるヘンリー・プールはナポレオン3世や世界の王室御用達の名門の老舗。白洲次郎もチャーチルと共に顧客名簿に名を連ねています。

★クリックして下さい♫★⇒ ■第8章■“白洲次郎も顧客だったサヴィル・ロウ最古のテーラー”


■第9章■伯爵家に育った正子は留学先のアメリカから帰国し、白洲次郎と結婚。その後、元総理細川護熙の父細川護立に古美術の手ほどきを受け骨董を愛するようになる正子は、青山二郎や小林秀雄の影響を受け、彼ら二人から多くのことを学び感化されてゆきます。

★クリックして下さい♫★⇒ ■第9章■“白洲次郎の妻正子の華麗なる一族”



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